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1.現行の健康診断は「脳・心臓疾患等の早期発見とその後の健康管理に資する健康診断項目が十分合まれていないという問題がある」との中央労働基準審議会の認識を受けての設置された検討会の報告書。
2.一般健康診断に「HDLコレステロール」「血糖検査」「眼底検査」等を新たに導入する必要があるとしている。
2.その他「問診の充実」や「継続的な健康診断結果の管理とプライバシーヘの配慮」などにも触れている。
3.この報告内容は、今後の調整を経て労働安全衛生法(安全衛生規則)の改正に反映される見込み。
健康診断の項目に関する検討会報告書
(中央労働災害防止協会「健康診断の項目に関する検討会」座長庄司榮徳)
1 はじめに
労働者の安全と健康の確保及ぴ快適な職場環境の達成を目的として,昭和47年に労働安全衛生法が制定され,以来,今日まで我が国の安全衛生水準は次第に向上してきた。現在では労働安全衛生法に基づき約5,000万人の労働者に対して健康管理をはじめとする労働衛生管理が行われるに至っている。
その一方で,最近における労働者の健康をめぐる状況をみると,高齢化の進展等により脳・心臓疾患等につながる所見を有する労働者が増加しており.一般健康診断の結果では労働者の3人に1人が有所見という状況にある。また.産業構造の変化や技術革新の進展による労働態様の変化が生じており.これに伴い仕事や職場生活で悩みやストレスを感じる労働者が増加しているほか,「過労死」が社会的に問題となっている。
このような状況に的確に対応し労働者が健康で安心して働くことがでさるよう,労働者の健康確保のための施策の充実を図ることが必要との観点から,中央労働基準審議会(会長花見忠)は「労働者の健康確保対策の充実強化について」とする建議(以下「中基審建議」)を行った。この中基審建議に基づき,労働安全衛生法の一部が改正,平成8年10月1日より施行され,健康診断の関連では,就業上の措置について医師等の意見を聴取すること(法第66条の2),必要な就業上の措置等を護ずること(法第66条の3),一般健康診断の結果を通知すること(法第66条の4),及び特に必要な者に保健指導を行うよう努めること(法第66条の5)が規定された。同時に,中基審建議では「脳・心臓疾患等に対応した効果的な健康診断のあり方」について提言がなされ,「現行の一般健康診断項目においては,高血圧性疾患,虚血性心疾患等の脳・心臓疾患等の早期発見とその後の健康管理に資する健康診断項目が十分合まれていないという問題がある」との認識から,その対策の方向として「健康診断項目の充実等」が提示され「一般健康診断の項目について,他の健康診断の健康診断項目も参考としつつ,例えば血糖検査や眼底検査等の必要性について専門家による科学的な見地からの検討を行う必要がある」と指摘,さらに「一般健康診断の項目の検討に当たっては,医師の判断による健康診断項目の弾力化もあわせて検討する必要がある」とされた。
このような中基審における健康診断項目に関する提言に基づき,当検討会では一般健康診断における健康診断項目の充実及ぴ弾力化について検討したので,以下にその結果を報告する。
2 労働安全衛生法における健康診断の流れ
事業場における健康診断は明治44年に制定,大正5年に施行された工場法において,一般工場における毎年1回の定期健康診断の実施等として法的に規定された。当時は,職業病対策とともに伝染性疾患対策(社会防衛策)のための疾病の早期発見が大きな目的であった。戦後,新憲法のもとで新しい労働者保護法規として昭和22年に制定・施行された労働基準法では,労働者が常に健康な状態で労働に従事するには結核等の感染症を代表とする健康異常をできる限り早期に発見することが必要であり.定期的な健康診断の実施が不可欠であるとの認識に基づき,労働者に対する健康診断を行う義務を使用者に課した。
その後,国民の健康水準の向上等に伴い,感染症対策よりも成人病予防対策が労働者の健康管理上の重点的対策となってきた。昭和47年に制定施行された労働安全衛生法には,労働基準法以来の結核を中心としたX線撮影,喀痰検査とともに,血圧測定.尿糖検査,尿蛋白検査が追加ざれ.さらに昭和63年には,成人病予防対策に加えてストレス.作業関連疾患等も問題となり、健康増進(THP)ヘの取り組みとともに健康診断項目も見直され,新たに貧血検査,肝機能検査,心電図等の項目が加えられた。現行の健康診断項目が規定されて以降,高齢化の進展等に伴い,定期健康診断における有所見率は徐々に増加し,平成7年には36.4%と労働者の約3人に1人が有所見という状況になっている。特に血中脂質については労働者の5人にl人が有所見であるほか,血圧,心電図等,脳・心臓疾患につながる所見を有する者の割合が高いことが特徴であり,また,先にも述べた悩みやストレスを感じる労働者の増加,「過労死」問題等の課題も生じている。このような状況の中,健康増進(THP)等の取り組みの推進とともに,労働者の健康状況を的確に把握し,特に脳・心臓疾患の早期発見とその後の健康管理に資するため,中基審建議にも提言されている通り,一般健康診断の項目について老人保健法等に基づく他の健康診断項目も参考としつつ,血糖検査や眼底検査等に関する検討の必要性が指摘されているところである。
3 健康診断項目として考慮すべき条件(健康診断の目的)
事業場における健康診断の目的としては,労働者の健康状況の把握が重要であり,それにより労働者個人にとっては対象疾患の早期発見,予防のための健康意識や知識の啓発・向上等の意義があり.事業者にとっては健全な労働力の確保,医師の意見を勘案して行わなければならない適正配置,労働環境の評価等事後措置への活用等の意義がある。また,社会的にも,事業場における健康診断及び保健指導等を通じてより効果的な健康確保対策を推進できるという意義がある。従って,事業場における健康診断はこのような目的にかなった項目を含む必要がある。
ざらに,健康診断項目として適切であるか否かは.その項目の有効性(早期発見・教育効果),精度及び特異度(偽陽性・偽陰性等),費用,被検者への負担,普及度等について総合的に判断する必要がある。なお,この場合の健康診断項目は,労働者の健康状況を的確に把握するという健康診断の目的から,一律に実施すべきものと,個々の労働者の状況に基づき産業医,若しくは産業医の選任義務のない事業場にあっては健康診断を実施する医師(以下「産業医等」)が判断,取捨選択して実施すべきものとがあることに留意すべきである。すなわち,労働者の高齢化や労働態様の多様化等.労働者を取り巻く状況が変化し.さらに,個々の労働等の健康を取り巻く状況が異なることから,健康診断項目についても個々の労働者の状況に応じて産業医等の判断により弾力的に取り扱うことが適当である。
4 健康診断に導入すべき項目の検討
中基審建議に基づき,当検討会においては脳・心臓疾患等に対応した健康診断項目として,事業場における労働者の健康保持増進措置(THP)や老人保健法等に基づく健康診断項目として比較的普及しているHDLコレステロール,血糖検査(又はHbA1c)及び眼底検査を中心にその一般健康診断項目への導入について検討した。
(1)HDLコレステロール
HDLコレステロールについては,低値の場合に冠動脈疾患発生の危険度が高い等,総コレステロールとは別の情報源として有用であると考えられることから,一般健康診断の項目として導入することが適当である。
脳・心臓疾患は死亡者数及ぴ患者数の上位を占めており,今後ともこの傾向が継続するものと考えられる。それらの多くは心臓及ぴ血管系の病変によるものであり,その進展には多くの危険因子が関与するとともに,早期発見により発症を予防することが可能な疾患とされている。
現在,心臓・血管系の病変に関連する健康診断項目の一つとして総コレステロールが義務付けられているが.HDLコレステロールは上記の通り総コレステロールとは別に.低値の場合,冠動脈疾患(虚血性心疾患)の危険度が高い等,総コレステロールとは独立した情報源として有用と考えられ,また,保健指導の際には総コレステロールを補完するデータとして活用することもできる。
なお,HDLコレステロール検査の実施は,低値の場合は毎年,そうでない場合は肥満等の状況により産業医等の判断により弾力的に取り扱うことができるよう配慮することが適当である。
(2)血糖検査
血糖検査については,従来の尿糖検査のみでは糖尿病の見逃しが多いことから,一般健康診断の項目として導入することが適当である。糖尿病は死因の第10位(平成7年度),疾患別患者数では第3位(平成5年度)を占める全身疾患であり今後とも増加することが予想されている。病態の進行とともに視力障害.腎障害.神経障害,壊疽,脳卒中,心臓病等を合併するが,食事療法及び運動療法等によりコントロールが可能な疾患でもあり,従って早期発見が極めて重要とされている。
現在,糖尿病に関連する健康診断項目としては尿糖検査が義務付けられている。尿糖の出現は概ね血糖値に依存するものの,一般に,若年者では尿糖の排泄閾値が低く高齢になるにつれて閾値が高くなることから尿糖検査単独では高年齢者において糖尿病の見逃しが多くなるとされ.また病的ではない腎性糖尿の存在も指摘されている。従って,健康診断項目としては血糖検査が精度・特異度から見て尿糖検査よりも優れている。血糖検査を実施する場合,受診者の身体的負担,費用の観点,事業場における健康診断の実態等を考慮しつつ,基本的に空腹時血糖又は場合により随時血糖とすることが適当である。
また,検査結果が「異常を認めず」と「要医療」の間の場合には,ざらに同一検体を利用してHbAlcを検査することが望ましい。これは,HbAlc検査が血糖値の一時的な高低による影響が少ない平均的血糖レベルを表す検査であること等により,血糖検査単独の場合よりも的確に状況を把握することができるという理由による。なお,この場合の判定については老人保健法による基本健康診査の判断基準に準じて行うものとする。
(3)眼底検査
高血圧及び糖尿病のスクリーニング検査としては血圧測定及び血糖検査等が眼底検査より適切と考えられること、HDLコレステロール及び血糖検査と比較して眼底検査は普及度が低いと考えられること等から,新たな健康診断の項目として眼底検査をすべての労働者に対し一律に実施すべきものとは考えられない。
但し,眼底検査は高血圧及ぴ糖尿病の病期,病型.重症度の判定に有用であることにも留意し,産業医等の判断により必要に応じて実施することが望ましい。
(4)BMI(Body Mass lndex)
新たな健康診断項目の追加ではないが,現行の項目(身長及ぴ体重)で算出できるBMIは肥満度の情報として有用であり.他の健康診断項目と併せて保健指導に活用することができるので,健康診断個人票に記載することが適当である。
5 健康診断項目の弾力化について
医師の判断により検査を実施あるいは省略することが適当か否かに関して.現在の一般健康診断項目に含まれている身長.視力検査及び聴力検査並びに新たに健康診断項目とすることが適当と考えられるHDLコレステロール及び血糖検査並びに血糖検査実施に際しての尿糖検査について検討した。
(1)身長
身長については,現行では25歳以上の場合に医師の判断により省略できることとなっているが.それ以外の年齢においても産業医等の判断により省略できる項目として差し支えないと考えられる。
(2)視力検査
視力検査については,産業医等が当該事業場の作業環境等を考慮し,その判断により省略できることとして差し支えないと考えられる。なお,VDT作業に常時従事する労働者の健康障害を防止するために策定された「VDT作業のための労働衛生上の指針について」(昭和60年12月20日基発第705号)に基づき実施されるVDT作業健康診断については,従来通り指針に沿って実施することが適当である。
(3)聴力検査
聴力検査については,現行では34歳以下及ぴ36歳から39歳の者については医師の判断によりオージオメータ一を使用して行う1000ヘルツ又は4000へルツの音に係る聴力の検査以外の方法を用いてもよいこととなっているが,それ以外の年齢においても,産業医等が当該事業場の作業環境等を考慮し,その判断により検査を省略し又は他の方法を用いることができることとして差し支えないと考えられる。なお,騒音作業に従事する労働者の騒音障害を防止するために策定された「騒音障害防止のためのガイドライン」(平成4年10月1日基発第546号)に基つさ実施される騒音健康診断については,従来通りガイドラインに沿って実施することが適当である。
(4)HDLコレステロール及び血糖検査
HDLコレステロール及び血糖検査については,他の血液検査と同様,34歳以下及ぴ36歳から39歳の者については産業医等の判断により省略できる項目として差し支えないと考えられる。
(5)血糖検査実施に際しての尿糖検査
尿糖検査については,検査方法が簡便かつ非侵襲性であること,尿蛋白検査と同時に検査できること,血糖検査のチェックと補完に有用であること等から,現行のまますべての労働者に実施することが望ましいと孝えられるが,血糖検査を行う者に対しては尿糖検査を省略することも可能である。
(6)雇入時健康診断について
雇入時の健康診断については,新たに雇い入れた労動者についてその基礎的な健康状況を把握するとともに,その結果に基づき就業上の措置を講じる際に有用であること等から,従来通り省略することなくすべての項目を実施することが適当である。
6 問診の充実について
脳・心臓疾患等についてはストレスや生活習慣が重要な発症・増悪要因であることから,これらの要因を杓確に把握するためには健康診断の基本となる問診の充実を図ることが適当であり.従来からの問診項目である「既往歴」及ぴ「業務歴」(現在の業務状況,例えば残業時間,作業量等を含む)に加えて,喫煙.飲酒を含む生活習慣等に関する事項を含めるべきである。特に近年,事業場におけるメンタルヘルス対策が大きな課題となってきていることから,問診等に活用できる簡易なストレスの問診票が必要であり,別途専門家によって検討されることが望ましい。
7 健康診断項目に関連するその他の検討事項(健康診断の活用について)
これまでの健康診断項目に関する検討に際して当検討会で指摘された関連事項につき.健康診断の有効活用という観点から,特に重要と考えられた若干の課題を付記する。
(l)健康診断結果を活用した適切な保健指導の実施
健康診断結果の活用については,健康診断実施後の措置として産業医等の意見を聴取し就業上の措置に反映させるとともに,労働者に対する保健指導等に積極的に活用していくことが望まれる。健康診断の実施後,置切な保健指導がなされない場合,精密検査や治療が必要な異常があるにも関わらずそれに対する措置が遅れたり,逆に,医学的には問題とならない軽微な異常に対して過敏に反応する等の弊害が生じる場合もあり,健康診断実施の趣旨を十分に生かすためには,健康診断結果に基づく適切な保健指導の実施が不可欠である。
(2)継続的な健康診断結果の管理とプライバシーヘの配慮
労働者の継続的な健康管理という観点から,健康診断結果を継続的に管理し経年的な有効活用を図ることが望まれている。このための具体的な方法としては健康情報カード等,電子メディアの活用が考えられる。なお,この場合.健康に関する情報は労働者の個人情報であることに留意し,その保管・管理に際しては特にプライバシーの保護に十分に配慮する必要がある。
(3)健康診断結果を踏まえた産業医等による総合的健康管理の重要性
脳・心臓疾患等に関連し,長時間の過重な労働に従事した労働者に対する健康管理も重要な課題となっている。このような労働者に対しては,産業医等が問診を通じて十分に労働負担の実態を把握することが最も基本的かつ重要である。その上で,産業医等が適切な健康診断項目を選択して実施し,その結果に基づき事後の就業上の措置を行う等.産業医等による総合的な健康管理を進めることが極めて重要である。
8 終わりに
労働者が心とからだの健康を確保し.安心して働けるようにするためには,事業場において適切な健康診断を実施し就業上の措置に反映させる等,適切な健康管理が必要である。当検討会においては,特に脳・心臓疾患に対する対策の推進の観点から健康診断項目について検討し,提言したものであり,当検討会の報告の趣旨がすみやかに実現されることを期待するものである。なお.今回の検討に当たっては,現在の労働者の健康状況.検査技術水準等を勘案して健康診断項目に関する提言を行ったものであり,今後も健康診断項目をはじめ労働者の健康管理に必要な事項については,引き続き情報収集に努め定期的に検討することが望まれる。